『誰しも、武勇伝はある』 令和8年5月19日(火)

祖父母の二十三回忌で、久しぶりに親族が集まった。
祖父は、とある島の小さな寺の住職だった。

私から見た祖父は、朝夕の勤業に熱心で、
その御読経は朗々と美しく、いつも穏やかであった。

しかし、叔父たちからは、まったく違う面が語られていく。

「よく寺の本堂で宴会をしていた」
『また和尚さんが道端で寝てますよー』と言われる度に、迎えに行った。
「島の渡し船で酔い潰れたまま、沖合で一夜を明かしたこともあった」

そんな話が続いたあと、
叔父のひとりが、ふっと真顔になって言った。
「オレ、危うく死にかけたんだよ──」

寺で宴会をしていたある時、祖父はその叔父(三男)を膝に抱いたまま、
何を思ったのか、 お椀のような形をした、鋳物の大きな「りん」を、
分厚い革を巻いた頑丈なりん棒で、繰り返し、力任せに叩いていた(叔父・次男談)。

ゴーン、ゴーン、ゴーン、
ぐわーーーん。

大りんは砕け、破片が三男坊に降り注いだ。
三男坊は顔から流血し、そのまま失神した。

祖父は慌てて島の診療所に駆け込んだが、あいにくその日は休診だったという。
「おい医者よ、しっかり働かんか──」 と怒鳴ったとか。
(なんですと!?)

そんなことがあったからか、
祖父の子供達(私の父、叔父)が寺を継ぐことはなかった。
島の人口流出もあって、小さな寺はあえなく廃寺となった。

もしかしたら、
私が白衣と袈裟を器用に着こなしていたかもしれないのに。
残念なことである。

 

 


私にはとうてい割れない「大りん」の音。
ごーーーん。

2026年05月19日