生まれたときは「布袋様」と呼ばれていました。
丸くて、重くて、なんとも言えない顔だったそうです。
1歳になっても、頭が大きくて重すぎて“おすわり”ができませんでした。
座ろうとすると、コロンコロンと倒れていく。
二歳上の姉が、そのたびに支えてくれていたとか。
2歳になっても、『パパ、ちゃっ』としか喋れず、保健師が本気で驚きました。
母は、ただ苦笑いするしかなかったそうです。
3歳になったころには、親族に「発達が遅すぎる」と心配されていましたが
祖父だけは『大器晩成だから、大丈夫だ』と太鼓判を押してくれました。
(その自信はどこから来たのやら)
そして今。転ぶのを支えてくれた姉より先に、診療所長になりました。
人生は、本当にどこへ転ぶかわからないものです。
「院長の裏話」
EpisodeⅡ
子どもの頃、家の近くの橋の上から、線路を走る電車を眺めていた。
その時間は長く続いても、飽きることがなかった。
やがて、自分で時刻表をめくり、行き先を決め、切符を買い、『ひとり列車旅』を始めた。
小学校四年生で、伊豆の伊東へ電車で往復してきた。
五年生では新幹線で名古屋へ、そこから福井、金沢、軽井沢、上野へと一日で乗り継いだ。
六年生では夜行列車(車中泊)に味を占めた。
中学生になると、列車旅はさらに広がった。
当時には多く走っていた夜行列車と、国鉄の「乗り放題きっぷ」を使い、
観光はほとんどせず、朝から晩まで、あるいは夜通し列車に乗り続けていた。
一年生で東北をぐるぐると徘徊し、
三年生では青函連絡船で北海道に渡り、北海道内を夜行列車で行ったり来たりした。
ひとりで出かける本人もなかなかだが、送り出す親もまた大胆だったと思われる。
今では、あの頃のような旅はなかなか難しい。
EpisodeⅢ
研修医の頃、仕事が多くて忙しく、 毎日24時を過ぎるまで働いていました。
夕食を摂ることなど、とうてい叶わない日々でした。
ある夜、やはり夕食を食べ損ね、
売店の自動販売機で買ったメロンパンを、深夜の非常階段に座って食べました。
悲しくて、涙が出てきました。
あの頃のつらさに比べれば、
その後も、今も、どうということはないのです。